『スターウォーズ』から師弟関係を学ぶ
July 23, 2024
先日、保育のちょっとした冊子(新聞的なもの)に寄稿文を依頼されたので、せっせと書いて原稿を送った。読み返してみたら1200字以内という枠を超えていた。あらー、と思い縮尺するのに頭を悩ませたのですが、せっかくなのでここにロングバージョンを載せておきます。末文は新しく書き足しています。
「はて?の向こうにある保育」 沖縄 あめそこ保育園 副園長 與那嶺新
那覇市から北へ向かい、やんばると呼ばれる地域にある今帰仁村へ向かう。那覇からその小さな村までは二時間の距離がある。道中、ハンドルを握る僕の両腕はちょっとした興奮と喜び、緊張を携え、少しだけ力が入っている。助手席には、保育の師と僕が勝手に仰いでいる藤森平司が座っている。沖縄の暑い日差しを避けるかのような黒いハットがなんだかカッコイイ。スタイリッシュなおじ様は、映画の中から出てきた俳優のように見えた。帽子は奥様からのプレゼントだそう。なんだか微笑ましい。そして僕たちはたくさんの話をした。保育のこと、映画のこと、文学のこと、全ての知的体験は保育へと汎用されていく。とりわけ、映画『スターウォーズ』の話は興味深い。フォースを信じることは人間の可能性を信じること。(長いので僕の胸にしまっておきます)
建築と教育を愛した先生の人生は今、保育の世界で全てが躍動している。僕は車の中で、他者の大切にしているものを一緒に大切にしようとする藤森先生のことを知った。さまざまな偶然から不良達と出会ってしまい、彼らと交じり合い、共に過ごした夜の勉強会。職員を信頼し、尊重した新宿の朝の小道。ほっとけない、でも過干渉にはならない。彼らにとって必要で最適な支援であったからこそ、彼らは自分の足で立ち上がり歩き出す。自律することの過程にはそれぞれに思いがけない出会いと物語がある。達人はきっと無駄な行為を省くのだ。必要かつ最適な行為や言葉は、ピンポイントで僕らの胸に残る。そしていつまでも励ましてくれる。講話の脇道かもしれないそれらの具体的な風景は、今でも僕の胸を温めて励ましてくれています。先生、かっこいいっス。
助手席には出会いを大切にするひとりの大人がいました。そして、こんなにもやわらかく人を包んでくれる。隣にいて査定され判断されている感覚が全くないからこそ、安心感のなかで話は弾む。そのような環境で、人は新しい自分に出会うのだと膝を打って理解する(運転中なので危ない)。自分はこんなことを考えていたのか、と口から出た自らの言葉に驚き、内に眠っていた自分を認識する。思いがけない発見が次々と展開される。なんだか懐かしい。音楽の道で出会った師たちのことを思い出す。巨匠たちとの濃密な個人レッスンの空間。本物の大人と向き合うとき、学ぶ者は今までの自分を超えることができる。今、この瞬間的にも、事後的にだいぶ時を経た後にも。
そして藤森先生は「はて?」の人であることも知った。朝の連ドラ『虎に翼』の寅ちゃんのように「はて?」と、既存の決まりごとに「本当にこれでいいの」といつも首を傾げる。講話で先生がおっしゃったように、何故おもちゃの取り合いになった時、我々は「貸してあげたら」と子どもに働きかけるのか。その子の夢中を中断させてまで。
「はて?」、僕も保育のあたりまえを見直す。「ごめんねー、いーよー。仲間に入れてー、いーよー。貸してー、いーよー。」保育者側の「こういう時はこうするべき」という、いつ誰が編み出したか分からない洗練された形式。その先にある予定調和。衝突を避け、常に仲良くいることが優先され、私たちは「回復する」というレジリエンスが育まれる貴重な体験を子ども達から奪っている。「いーよー」となんて言わせてごめん。本当にそれでいいのか、頼む、もう一度考え直してくれ。一緒に葛藤してくれ。情理を尽くして子ども達に語りかけ、僕たちは一緒に保育の規範性を跳躍し、その先にある新しい地点を発見しなくてはいけない。そのような気持ちが沸々と湧き上がる。
そのために「藤森メソッド」を学び続けたいと思うのです。学べば学ぶほどわかってくるのだけれども、そこに書かれていることは、発達の自然さを支えるための自然の営みです。特別で革新的なことはなにも描かれていない。それはまるで自然を愛したロマン派の様式のようだ。だからこそ、保育者は豊かな想像力を駆使して、その子の個性であり感性を育み、自由な表現というものが動き出すのをそっと支援する。その大人の小さな行為の背景には、仲間との対話であり、本を読み込むことであり、考え続けるという習慣がなくてはならない。そのような学びあう体験を頼りにし、僕らは保育という芸術を描くのだ。賢くなければそれは機能しないメソッドなのです。この子にとっての自然な発達を徹底的に観察し、毎日の保育を新しい視点で捉え直す。個別最適で協働的な学びの先には、予想もできない「ワクワクする思いがけないこと」が待っている。予感は心を前向きにさせる。保育者は知恵を絞り環境を構成し、子ども達が参画して立ち上げた自治を見守る。こうしたらこうなる的な、マニュアル特有の限定と断定ではなく、こうしてみたらこうなるのでは、という希望と可能性に満ちた環境を考えてせっせと拵えていく。その場所ではきっと、なにか思いもよらないギフトがふわりと舞い降りてくるような気がしてくる。いや、きっと降りてくる。
2024年4月、藤森先生にあめそこ保育園の環境を見てもらいました。先生はこうした方が良いとは決して言わず、“発見する喜びを体験してください、あなたたちならきっと出来るでしょう”と言外に私たちを励ましてくれていました。我々ならきっとできます。先生は、未熟な私達の可能性にしか目を向けていなかった。査定し評価される視点が感じられないからこそ、先生の構築されたメソッドは懐が深く、創造性に開かれていると感じます。沖縄の広くて深い海のように。
「見守る保育」を本格的に取り入れて日は浅いのですが、新しいことに「やってみよう」と職員の前向きな試行錯誤が続いており、そのような日々に幸せを感じます。今日も僕たちは「はて?」と、逡巡し戸惑い葛藤しながらも保育する。藤森メソッドにさえいつかは「はて?」とクリティカルに読み込む場合もあるだろう。その時はまた、先生と一緒にたくさんのことを話し合いたい。その先にある新しさと自由を発見するために。
実は2024年7月22日の今日現在、東京で「みまもる保育」を学んでいる仲間がいる。彼女たちは、あめそこ保育園に新しい視点を持ち帰ってくることでしょう。みんなで楽しみに待っています。「みまもる保育」を学べること、G T(ギビングツリー、見守るメソッドを学ぶ会)の皆さんと話し合える機会が生まれたこと、全国に仲間がいること、たくさんの出会いに感謝しています。